タイ語とはどんな言語か
第1部 ・ 第1章
タイ語の基本的な性質(語順・無活用・声調・文字)を説明でき、本書をどの順番で進めればよいかがわかる。
最初の章では、これから学ぶ相手の全体像をつかみます。タイ語がどんな仕組みの言語なのか、日本語や英語と何が同じで何が違うのか。地図を持ってから歩き出せば、迷いません。
この章のゴール:タイ語の基本的な性質(語順・無活用・声調・文字)を説明でき、本書をどの順番で進めればよいかがわかる。
1-1タイ語はどこで、誰に話されているか
タイ語は、タイ王国の国語です。話者はおよそ7,000万人。うち約2,000万人が母語話者で、残りはタイ国内の少数言語話者が第二言語として使っています。ラオス語とは方言差程度の近さで、タイ東北部(イサーン)の方言はほぼラオス語と通じます。系統としてはタイ・カダイ語族に属します。中国語(シナ・チベット語族)とも、ベトナム語(オーストロアジア語族)とも、系統は別です。ただし地理的に近いため、中国語と似た特徴(声調・孤立語的性質・類別詞)を共有しています。これを言語学では言語連合と呼びます。語彙の面では、仏教とともに入ってきたサンスクリット語・パーリ語由来の語が非常に多く、抽象的な概念や公的な語彙のほとんどがこの層です。日本語における漢語の位置づけとよく似ています。
タイ語で「タイ語」は ภาษาไทยphaa-sǎa-thai と言います。ภาษาphaa-sǎa が「言語」、ไทยthaiが「タイ」。順番が日本語と逆で「言語+タイ」となっている点に注目してください。これがタイ語の修飾の基本です(1-3)。ちなみに「日本語」は ภาษาญี่ปุ่นphaa-sǎa-yîi-pùn、「英語」は
ภาษาอังกฤษphaa-sǎa-ang-krìt です。
1-2タイ語の3つの特徴
タイ語の性質は、次の3点に集約できます。
タイ語を規定する3つの性質
- ① 孤立語である ── 語は一切変化しない。語形変化の代わりに語順と機能語で意味を作る。
- ② 声調言語である ── 音の高低が意味を区別する。5つの声調がある。
- ③ 独自の文字を持つ ── 44の子音字と多数の母音記号を組み合わせ、語間を空けずに書く。
① 孤立語 ── 語がまったく変化しない
英語で苦労した動詞の活用(go / went / gone)、名詞の複数形(book / books)、冠詞(a / the)。これらがタイ語にはすべて存在しません。
では時間や数はどう表すのか。答えは語を添えるです。過去なら แล้วlɛ́ɛo(もう)、未来なら จะjà(〜だろう)、複数なら数詞を足す。この「足し算方式」がタイ語文法の骨格です。
日本語も動詞が「行く/行った/行きます」と変化しますし、名詞に助詞が付きます。タイ語にはそれすらありません。覚えるべき変化表がゼロという点で、日本語話者にとって記憶の負担は英語よりずっと軽いのです。厄介なのは逆で、助詞がないことです。日本語なら「私が」「私を」「私に」と助詞で役割を示せますが、タイ語は語順だけで決まります。順番を間違えると意味が変わってしまいます。
② 声調 ── 高さが意味を変える
| 声調 | 発音 | タイ語 | 意味 |
|---|---|---|---|
| 平声 | maa | มา | 来る |
| 上声 | mǎa | หมา | 犬 |
| 高声 | máa | ม้า | 馬 |
てしまいます。
日本語にも「はし(橋・箸・端)」のような高低アクセントがあります。しかし日本語のアクセントは語のどこで音が下がるかという「型」であり、しかも間違えても方言だと思ってもらえます。タイ語の声調は1音節ごとに指定された音の動きで、間違えると別の語になります。方言として許容されません。ここが最初の関門です。第2章でじっくり扱います。
③ 文字 ── 44の子音字と、上下左右に付く母音記号
タイ文字は、13世紀にスコータイ王朝のラームカムヘーン大王が制定したとされる文字です。インド系文字の系統で、子音字を中心に、その周囲に母音記号を配置して音節を作ります。
| เ | + | ก | + | - | + | ย | + | ว | → | เกียว |
子音字 ก の左・上・右に記号が付いて1音節 kiao になる。読む順番は文字の並び順とは異なる。
ここがタイ文字の最大の特徴です。母音記号は子音字の左・右・上・下、どこにでも付きます。しかも左に付く母音は、書く位置は左でも、読むのは子音のあとです。この「見た目の順序と読む順序のずれ」に慣れることが、第4章以降の課題になります。さらにタイ語は語と語の間を空けずに書きます。句読点もありません。文の切れ目でだけスペースを入れます。
ผมเป็นคนญี่ปุ่นครับ
私は日本人です。
実際の表記。5語が続けて書かれている。
💡ポムペンコンイープンクラップ
私は日本人です。
本書ではこのように語ごとに区切って示します。
子音字が44あると聞くと気が遠くなりますが、実際に区別すべき音は21種類しかありません。同じ音を表す字が複数あるのでではなぜ複数あるのか。字によって声調の決まり方が違うからです。つまり子音字は「音」だけでなく「声調の情報」も担っています。これが第4・5章、そして第7章の中心テーマです。
1-3語順 ── 日本語とは正反対、英語に近い
タイ語の基本語順は 主語 → 動詞 → 目的語(SVO)です。日本語の SOV とは動詞と目的語の位置が入れ替わります。
| ผม | + | กิน | + | ข้าว |
| 私(主語) | 食べる(動詞) | ごはん(目的語) |
タイ語:主語 → 動詞 → 目的語。日本語「私は ごはんを 食べる」とは順序が違う。
一方、修飾語は必ず後ろから掛かります。ここは英語とも日本語とも違う、タイ語独自のルールです。
| 名詞 | ← | 修飾語 |
「大きい家」は〔家 大きい〕、「私の本」は〔本 私〕の順になる。
この規則のおかげで、タイ語の長い名詞句は前から順に読み下せます。「私が昨日買った赤い大きな本」のような日本語は、タイ語では〔本 大きい 赤い 私 買う 昨日〕という順になります。慣れると、むしろ英語より読みやすい仕組みです。
1-4タイ語の丁寧さ ── 語尾で決まる
タイ語には日本語の敬語のような複雑な体系はありませんが、文末に丁寧の語を付けるという点は日本語の「です・ます」とよく似ています。
| 話し手 | 丁寧の語尾 | 発音 | 使い方 |
|---|---|---|---|
| 男性 | ครับ | khráp | 平叙文・疑問文とも同じ |
| 女性 | ค่ะ | khâ | 平叙文で使う |
| 女性 | คะ | khá | 疑問文・呼びかけで使う |
タイ語では、話している人の性別によって語尾も一人称も変わります。男性は ผมphǒm (私)と ครับkhráp 、女性は
💼ดิฉันdì-chǎn または ฉันchǎn (私)と ค่ะkhâ 。これは相手の性別ではなく自分の性別で決まります。詳しくは第12章で扱いま
す。
ครับkhráp / ค่ะkhâ を付けるかどうかは、日本語の「です・ます」とほぼ同じ感覚です。取引先や目上の人と話すときは、ほ
ぼすべての文の末尾に付けるのが安全です。付けすぎて失礼になることはありません。むしろタイ人ビジネスパーソンは、短い返事にも必ず付けます。
1-5いちばん短いタイ語の会話
まだ文字も声調も学んでいませんが、この本の到達点を先に見ておきましょう。カタカナを頼りに、声に出して読んでみてください。
会話1 はじめまして
| ケン | サワッディークラップ |
こんにちは。
| ナム | サワッディーカ |
こんにちは。
| ケン | ポムチューケーンクラップ |
私はケンといいます。〔私 名前 ケン〕
| ナม | ディチャンチューナームカ |
私はナームといいます。
| ケン | インディーティーダーイルーヂャッククラップ |
お会いできてうれしいです。
| ナム | インディーカ |
こちらこそ。
rúu-jàk が yin-dii を後ろから説明している)。そして文末には必ず ครับkhráp / ค่ะkhâ が付いています。
รู้จักยินดี
1-6日本人にとっての難所と、攻略の順序
最後に、これから何を、どの順番で乗り越えるのかを整理しておきます。
| 難所 | なぜ難しいか | 本書で扱う場所 |
|---|---|---|
| 声調 | 日本語のアクセントと仕組みが違い、聞き分けも言い分けも訓練が要る | 第2章・第7章 |
| 長母音と短母音 | 日本語にも長短はあるが、タイ語では9対すべてで意味が変わる | 第3章 |
| 末子音 | 日本語には「ん」しか末子音がなく、-k -t -p を出し切らない発音が難しい | 第6章 |
| 文字の配置 | 母音記号が上下左右に付き、読む順序が見た目と一致しない | 第4〜6章 |
| 声調規則 | 子音類・母音長短・末子音・声調記号の4要素から声調が決まる | 第7章 |
| 類別詞 | ものを数えるとき専用の語が要る。日本語の「〜本・〜枚」に似るが数が多い | 第19章・第32章 |
| 助詞がない | 語順だけで格を示すため、日本語の感覚で並べると通じない | 第11章 |
| ことばの階層 | 相手との関係で語彙そのものが変わる(王室語・僧侶語など) | 第45章 |
学習の進め方
- 第1〜9章(文字と発音)は1日1章、10日で抜ける。完璧を目指さず、まず一周する。
- 第10章で「読める」実感を得たら、第2部以降は例文を声に出して進める。
☕• 各章の練習問題は必ず解く。間違えたらポイントまとめに戻る。
- 付録A(子音字と声調)・付録B(母音)・付録C(類別詞)は、最後まで何度も引く。
タイ文字を読めるようになると、ラオス文字もほぼ読めるようになります。両者は姉妹文字で、字形が似ており、対応関係も規則的だからです。またクメール文字(カンボジア)も同じインド系文字なので、構造の理解が転用できます。さらに、タイ語の語彙のうち抽象語の多くはサンスクリット・パーリ語由来で、これらは仏教用語として日本語にも入っています。ประเทศprà-thêet(国)、ศาสนาsàat-sà-nǎa(宗教)のような語は、学ぶほど「どこかで聞いた音」に感じられるようになります。